ボラン農場の牛たち

アルモリカの小さな村からアルモリカンArmoricaine牛たちのお話をお届けします。

ベラ、パリに!

今日は《ベラ、パリに?》というタイトルで 明日からパリ(フランス)で開催される国際農業サロンに出場する アルモリカン牛代表《補欠》になったベラの話をするつもりでした。

この国際農業サロンは 農業従事者にとって特に大事な年中行事です。牛など家畜の場合は 一年がかりで 地区の大会に出て,代表になって,県大会に出て,県の代表になって やっと全国大会で行き着くところがパリです,

ただし、アルモリカンのように数が少なくて コンクールのない種類は その地方の特産品のような感じで 4年に一度 生きた展示物 として参加させてもらっています。前回は2008年で 3頭が出場しました。

だから,今年は関係ないはずだったのが、保存活動の対象となっている13種の牛の管理機関である畜産研究所の担当者から フランス地方種の牛を一堂に集めよう というアイディアが出て,今回初めて,会場の一角で 今は珍しくなってしまった牛全部が見られる という大イベントとなりました。

そのために 今回出場する牛を推薦する役が アルモリカン会長のJおじさんにまわって来ました。でも,こういうことは Jおじさんの好みだけでは決められないので 
1- 予防注射を全て受けている(あたりまえのことなんだけれど 今,義務となっているブルータング接種の副作用を恐れ、受けていない牛が多い)、
2- 人に慣れていて,つないでも平気で,ローブ誘導ができる
という条件で 候補牛を募りました。

そして,名乗り出た牛は・・・たった一頭だけ。それも Jおじさんが個人的に推したベラだけでした。

ユーチカの次女で,大食いシスターズ妹,そして すもうのすぐ上の姉であるベラは 去年の一月に 友人Aのところにお嫁に行きました。そのベラが Aのところでオスの子牛を産み,お母さんになり、コロコロしていたのがめっきりスリムになりました。それにAがしっかり世話をしているので (うちの牛たちのように)穴などなく,毛もつやつやして,コンクールに参加する牛に比べても見劣りはしません。

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そんな手入れの行き届いた牛だから 正選手でも良かったのですが パリまでの道程は遠くて大変だし,ものすごい人出になるところは 牛にとってストレスが多くてかわいそうなので,レンヌのエコミュージアムの牛に正選手になってもらって,ベラは《補欠》ということで決まりました。

それでも Aは責任を感じて,もしもの時のために プレゼンテーションのリングでちゃんと行進できるよう ベラのトレーニングもしました。そして,先日は ベラが国際農業サロンに登録されているのを知った地方紙の記者さんにインタビューを受けて,新聞に載ったり かなり盛り上がりました。

でも,ベラはあくまでも《補欠》で,正選手にもしものことがあったら と新聞にもはっきり書いてありました。推薦したJおじさんも 正選手のようにいろんなリスクを負わせることなく 充分話題になって 良い選択だったと思っていました。

ところが・・・

昨日のお昼ごろ Aから電話がありました。車を運転していたようで あまり長く話せなかったのですが 勤務先に電話があって これから家に戻って 大至急ベラをパリ行きのトラックの停車地まで連れて行く と。

いくら何でも信じられない話なのですが 昨日の午前中 パリに向かうはずだった正選手がトラックに乗るのを拒否し、気が狂ったように暴れだしたので バリ行きを断念したとか。

かわいそうに こんなはずではなかったのに 仕事も放り出して,走り回った友人A。幸い、トラックの出発時間に間に合って,同じ地域からコンクールに参加する他の牛たちといっしょに ベラはパリに向けて出発したそうです。 

行ってしまったからには これから3月7日の最終日まで 無事に任務を果たしてくれることを祈るしかありません。見かけも性格もかわいいベラだから みんなにかわいがられますように。

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(お友達のお馬さんと:写真提供 2枚ともA.Q.)

もしも,パリの国際農業サロンに行かれる方がいらっしゃいましたら ぜひ、フランス地方種ブースに行って ベラを励ましてやってください。
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ごくふつうの日々

エルネストがいなくなって 母親のアーニカは 出発した翌日(土曜日)、ひとり放牧地をうろうろしていたけれど,息子はどこにもいないことがわかり,あっさりあきらめたみたいで 泣きもしませんでした。

エルネストがいなくなって 牛舎での並び方をちょっと変えたのに,もうみんな慣れて,まるでもともとそうしていたみたいに 各自、与えられた席に着きます。ふくすけとお馬さんのボックスにいたみよも 場所が空いたので みんなといっしょに並ぶようにしたばかりなのに もう自分の場所をちゃんと覚えました。  

エルネストがいなくなって 隔離組もなくなったので 毎日の作業がうんと楽になりました。この時期になると 草はもうほとんどなく、みんな 食堂が開くのを待ちかねているので 呼ばなくても 柵を開ければ 大きい順またはお腹が空いている順に 牛舎に駆け込んで来ます。

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2月ももうすぐ終りで,気温も10℃まで上がるようになったし,日もすっかり長くなったし,鳥の鳴き声もうるさくなったし、春はもうそこまで来ているのを感じるのですが・・・,あーぁ,また 雨の季節になってしまいました。(今日はおまけに強風。)

ここでは これがふつうなんだけれど、牛たちや動物たちは 毎日同じことをするのが好きなんだけれど、《毎日、雨》だけはやめてもらいたいものです。(次回はもっと明るーい話題にします。)

アーニカ・エドゥ組解散

いつ来るか,いつ来るか と待っていたエドゥ(幼名エルネスト)のお迎えが とうとう今日来ました。エドゥも、ボランと同じく、人工授精センターに入るまで レンヌのエコミュージアムのお世話になります。

エドゥは 去年の4月生まれで もう10ヵ月。うちには エドゥより1ヵ月年長のエミリーがいるし、去勢していない雄牛はめんどうなお荷物です。今年は ゼロアクシデントを決意し エドゥをアーニカといっしょに隔離していたので 何かと手がかかり ねぇ~,いつまでいるのぉ と恨めしく思っていました。

今朝は お天気が良かったし、出発前に親子で はい,チーズ。

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こんなに大きくなったのに、エドゥは まだ子牛のムームー声で,お母さんに甘えてばかりでした。おっぱいはもう飲まなくなったはずだけど・・・。

トラックに乗せられて エドゥは 時々泣き叫んでいたけれど、お母さん(大食いシスターズ姉)は 牛舎で黙々と食べるばかり。夜,暗くなったら 息子がいなくなったのに気が付いて泣き出すかな と思ったけれど 今のところしらん顔しています。

エドゥは 多分、14ヵ月になる6月頃までエコミュージアムにいる と思います。地元の皆様,またレンヌ方面(例えばモンサンミッシェル)に旅行される皆様,どうぞエドゥに会いに行ってやってくださいね。今までに見たことのない(母にも姉にも似ていない)愛嬌のある、おもしろい顔をした子です。

きこり日和

昨日もいいお天気だったけれど,今日はまた 冬はこうでなくちゃ というような カラッとした晴天になりました。夜の間も晴れていたので 今朝は-5℃と霜で真っ白。でも,お日さまのおかげで すぐに気温が上がりました。

こんなお天気なので Jおじさんは先週から 林できこり仕事をしています。犬のオスカルも 毎日、うれしそうにJおじさんと林に行って 思いっきり走り回っています。林は去年手入れをしたので 今年の計画にはなかったけれど 1月の大雪で大木が倒れ お隣との境の土手からはみ出て じゃまになっていたからです。

その木は 直径が1メートル近くあるのでは と思うほど大きなもので 倒れた時は すさまじい音がした とお隣のLさんが言っていました。いったい何百年(そこまで古くない?)かわからない大木が ボラン農場にはたくさんあって、中に空洞ができて 半分腐りかけて,ツタが巻きついて、強風が吹く度に一本一本倒れてしまいます。

大木が倒れると 土手の上に歯が抜けたような穴が開いて,何か代わりの木を植えないと と思うのですか,そのうち その陰になっていた小さい木が枝を広げて バランスが取れて来ます。おかげで 私たちはますます何もしなくなり ただ自然がくれるものを拾っていれば良い という方向にどんどん傾きます。

その倒れたばかりの大木のすぐ横に もう何年も前から倒れたままになっていた木(やっばり大木)があったので,Jおじさんは ついでにそれも切っています。こうして Jおじさんらしく やり始めたらいつ終わるかわからない徹底的なきこり作業となったのです。

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今朝は マルキーズの発情 というイベントがありました。マルキーズは エドワードを産んだ後 わりと早く人工授精したけれど やっぱりダメでした。今日の午後にまた人工授精 という手もあったのですが、向いにいた雄牛のエドゥが あまりにもムームーうるさかったせいで 自然授精の方が成功率が高いよね~・・・ ということに。

でも,マルキーズに何度も蹴られて嫌気がさしたのか エドゥは無関心のようで あまり期待できませんが,今夜も マルキーズは 子連れでエドゥとアーニカのところにいます。

私の予言は当たるのだ

アメリカの東海岸で大雪になったのは 先週の週末ごろだったでしょうか。それを聞いて 私はおじさんに『来週はこっちも雪になるわ。』と言いました。でも,天気予報によると 今週はずっと 晴れ時々くもりか晴れ の予想だったので Jおじさんは全く信じてくれませんでした。

私は自分を信じて また雪に閉じ込められたら大変 と火曜日、いつもより多めの買い物をしました。そして,水曜日になると 突然《夕方からにわか雪》の予報に変わってしまいました。

雪は 木曜日の午前中も降り続け,数センチ積もりました。でも,午後には晴れ間が出てこんな感じでした。

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そして,昨日,金曜日の夜は 雪もすっかりなくなり 牛たちも 通常営業で 外で寝ました。ところが 今朝起きてみると また雪! ほんのうっすらだから どうってことはないけれど それにしても今年はよく降ります。言わば 去年の冬は気温が高くて雨ばかりだったのが、今年は その分雪で降っているようなものです。

天気予報によると 今日も明日も一日中にわか雪。でも、1月のような大雪にはならずにすみそうです。

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そして,私のもう一つの予言、T自動車の品質問題。大変お世話になったT自動車関係者の方々には 申し訳ないのですが これも当たってしまいました。

笑うしかない

もう、あきらめがついたのか やっと静かになったユーチカは 昨日,少し遅めの発情をしました。今度はボラン と決めていたのに 冷凍精液の注文をしたのが遅かったために 今回,やっと人工授精ができました。ストレスのせいで 付かないかも知れないけど、できるだけ早く エバンの弟か妹が授かるのを祈るばかりです。

さて,いつまでもこんな話ばかりしたくないのですが エバンが急死する少し前,日にちはよく覚えていないけれど、雪に埋もれていた1月の10日頃、この近くに住む アルモリカン仲間のPさん(女性)から電話がありました。電話を取ったのはJですが、私は横にいて とても深刻な話をしているのがわかりました。Jが教えてくれた話は こうです。

雪が積もってから Pさんちも牛たちを牛舎に泊まらせていました。ところが その数日間に、それまで元気だった牛が1頭、2頭と急死しました。最初の牛が死んだ時 もちろん原因を知ろうとしたのですが はっきりしたことはわからないままでした。そして、その日の朝、また3頭目が死んでいました。

原因がわからず 他の牛たちも危険にさらされているかも知れない という不安な状況の上、Pさんにとってさらにショックだったのは その3頭目がユゴリンだったことでした。それを泣きながら話していたそうです。

ユゴリンは、うちからPさんちにお嫁に行った、カシューのお母さんです。私も ユゴリンは大好きだったけれど、Jが嫌いな脂肪太りタイプなので 信頼できるPさんに任せました。Pさんは 本当にユゴリンをかわいがっていて 地域の共進会に プレゼンテーションで連れて行ったりしていました。ユゴリンとは 本当に仲良しだったそうです。

それから 時々ユゴリンのことを考えていて こんなのが頭に浮びました。

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私が牛の天使を描く時いつも出てくる子牛は アリス と言って、ユゴリンの初産の時死産した子です。アリスは ユゴリンに『なんや,もっとゆっくりして来たら良かったのに。』と言うような性格ですが,本当は お母さんに会えてうれしいはずです。また,最後にドタドタ出て来たのは ご存知イッジーばあちゃんです。今でも軽やかに飛ぶのが苦手です。

大好きな牛たちが次々に亡くなって、泣いてもしょうがないから、こんな絵を描くことで供養になれば と思います。

牛は理由もなく鳴いたりしない - その2

その夜8時に 牛たちを牛舎から放牧地に帰した時 エバン(3ヵ月)に何も異常はありませんでした。いつも まずアーニカとエルネスト(エドゥ)を先に出して,道の向こう側の牧区まで連れて行くので,牛舎の戸を開ける時 子牛たちがいっしょに出て行かないように 牛舎の一角に子牛を集めます。その日 エバンは そこに行くのを嫌がって Jおじさんと追いかけっこをするほど元気でした。

(左がエバン。ふじお、バランチーヌ親子と。これが一番最近の写真。)
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それが なぜ3時間後に 電気牧柵の上に倒れて動けなくなったのか 私たちには全く理解できませんでした。はじめ、電流を受け続けたショックで ハアハア言っているのだ と思ったけれど、びっくりして逃げなかったのは どう考えても異常です。

獣医のL先生に死因をたずねたのですが 可能性はいくつもあって特定できませんでした。ただ,熱は41℃あったけれど 呼吸は正常だったので 呼吸器系の病気ではなく,脳神経に異常が起きたとしか考えられませんでした。それに あのもがき方は 脳皮質損傷の典型的な症状だそうです。

死因がはっきりわからず 私たちは 同じことが他の子牛にも起らないか不安でした。Jおじさんといろいろ考えたのですが エバンは 下痢が多かったし,1ヵ月の時 シラミが付いたのか背中の線に沿って毛が抜けたり 他の子牛に比べて抵抗力が弱かったような気がします。これも みんなエバンの両親の近親関係のせいかも知れません。本来なら 母と息子 というあってはならない組み合わせなのですが、特に支障はない と聞いて そのままにしてしまいました。もしも それが エバンの急死の要因になっているとしたら 生まれて来てはいけない子牛を産ませた私たちの責任です。

さて,昨日 Jおじさんが羊飼いのジョンさんと話をしていて どうやら謎が解けたようです。ジョンさんも羊(子羊)で経験している病気で 今まで元気だった子羊が急に横向きに倒れ、歯をガタガタ言わせ,あっという間に死んでしまう とエバンの場合と全く同じです。日本語で 脳膜炎 と言うのか 髄膜炎 と言うのかわからないのですが(とみさん、ご存知でしょうか?)、脳の炎症で 体には異常がないので 子羊にこの症状が出ると 死ぬ前に急いでお肉にしてしまうそうです。

私たちには高い授業料だったけれど この病気の発病直後から最後まで 一部始終見ることができて 新しい知識が得られました。今まで 子牛は一度生まれると必ず大人に成長する と思い込んでいた私たちは 無知な牛飼いでした。エバンの耳標番号が4071で 途中でシステムが変わって欠番があるので うちで生まれた子牛の数は60数頭でしょうか。その内の一頭が死んでしまったからって 特別なことではない と受けとめることにしました。

エバンは もう二度と苦しむこともなく,遺体も金曜日に回収され、私たちもエバンがいたことをだんだん忘れて行くのだ と思いますが、どうしてもエバンのことが忘れられないのが・・・そう母親のユーチカです。

エバンが牛舎で苦しんでいた間,知らない人(獣医さん)が来た時は警戒したものの、ユーチカは知らん顔して 無心に乾草を食べていました。朝になるまでエバンの遺体を移動しなかったので ユーチカは 息子は死んだとは知らず 横で寝ていました。でも,朝になっても エバンがいっこうにおっぱいを飲みに来ないものだから 不安そうにムームー言い出しました。

その後,とうとうエバンが見えなくなると ユーチカはそれはそれは大きな声で叫び始めました。休みなしに叫び続けるものだから そのうちに声もかれ、それでも止めず まるで雄牛のようなドスの利いた声で一日中泣き叫びました。

きっと,おっぱいが張ってよけいつらいんだろう とあれから毎日 Jおじさんが搾乳しようとするのですが 二回に一回は拒否で,後ろ足が出てきます。ユーチカは 乳量が多いので このままにしておくと必ず乳房炎になりそうです。そのために しばらくは搾乳したいのですが 本人の協力が得られなければ どうしようもありません。

でも,一昨日は ある程度ミルクが搾れて(甘くておいしかった)おっぱいが楽になったはずなのに 相変わらずエバンを探して 泣き続けました。ユーチカにしたら おっぱいが問題なのではなく かわいい子供がいなくなったのが悲しいんだ とわかりました。

今日はもう4日目だから ユーチカの絶叫もたまに休みが入ります。ユーチカの声はよく覚えたので、『もう,泣きたいだけ泣いて。』と気にしませんが もしも 他の牛の声がしたら すぐに見に行くようにしています。牛は理由もなしに鳴いたりしませんから。

牛は理由なく鳴いたりしない - その1

これは 一昨日,3日の夜のことです。11時になり、それまで聞いていたラジオ番組が終り,ベッドに入いって Jおじさんは本を読み始めました。するとすぐ 放牧地から母牛の叫び声が聞こえました。牛たちは 相変わらず小屋のすぐ横の放牧地です。それがひと声、ふた声 と何度も続くので Jおじさんが見に行くことにしました。

作業着に着替えながら Jおじさんが『また隣の牛やなかったらええけど。』と言うので 私も心配になって ついて行くことにしました。もしも 牛の群れがいた時のことを考えて オスカルも連れて行きました。

私たちが放牧地の入口まで来た時は 母牛一頭だけではなく 数頭の叫び声が聞こえました。牛たちは 小屋とは反対の村道側にいました。きっと,よその牛か うちの子牛が道を歩いているんだ と思い、放牧地には入らず、並木道を通って道に出て行きました。

ところが,道には牛も子牛も見当たりません。でも,牛たちは柵のすぐ後ろに集まっています。私のよりずっと明るい懐中電灯を持っているJおじさんが『あっ!』と声を上げ,道の脇の溝をまたぎ,柵を飛び越えて(電気は来る前に切ってあった)放牧地に入って行きました。

どうも子牛が一頭大変なことになっている としかわからなかったですが 私は とりあえず 足手まといのオスカルを 小屋まで連れて帰りました。オスカルを小屋の入口につないだ後 今度は放牧地を横切って Jおじさんの懐中電灯の灯りを目指して進んで行きました。

Jおじさんはさっきのまま 子牛の横にしゃがんで 子牛に話しかけたり、体をさすったりしていました。子牛はエバンでした。エバンは 道側の電気牧柵すぐ横にあるリンゴの木を囲っていたワイヤの上に横になっていました。リンゴの木は 放牧地の中にあって 牛たちが体を掻くのに格好な道具にされるので 囲って電気を通してあったのです。

Jおじさんは はじめ ワイヤが巻き付いて起き上がれなくなった と思い,急いで外そうとしたのですが、エバンは ただ電気の通ったワイヤの上に寝ていただけでした。牛の声が聞こえて間もなく電源を切ったけれど それまで電気ショックを受けていたわけです。なんで 起き上がられなかったか わけがわからないまま とにかくショックでハアハア言っているエバンが 落ち着いて立ち上がるのを 牛たちといっしょに見守っていました。

そのうち 何かの拍子に エバンが急いで立ち上がろうとしました。なかなかエバンの足もとがおぼつかず 頼りなかったのですが 少し助けてやると 立ち上がることができて 母親のユーチカのもとにフラフラ歩いて行きました。見たところ けがはないようだし おっぱいを飲んでいるようだったので 私は やれやれ,一件落着 と小屋に戻ることにしました。Jおじさんは 念のためもう少し様子を見ていました。

しばらくして戻って来たJおじさんは もうひとつエバンの様子がおかしいので 今晩は ユーチカと牛舎に泊めようか と言い出しました。でも,牛舎は 夜の8時に牛たちが放牧地に出て行った時のままで 掃除をしていません。その上 ユーチカは 群れを離れて単独行動ができる牛ではありませんから エバンとユーチカを牛舎に入れるには 全員を連れて来ないといけません。それに みんなといっしょに とは言っても 牛たちは暗くなって牛舎に来る習慣はないので そううまく行くとは思えません。

本当は エバンとユーチカをすぐにでも牛舎に入れて エバンの症状に応じたレメディを飲ませたいのですが それまでの段取りがあまりにも複雑過ぎます。どうしたら良いのか決心が付かないので Jおじさんがもう一度エバンの様子を見に行って それによって決めることにしました。

答えは 牛舎に入れよう でした。一度は立ち上がれたエバンですが 今度は土手と牧柵の間に入りこんでうずくまり,呼吸も異常に速いままでした。

まず,大急ぎで牛舎の掃除をして 新しいわらを敷き、乾草も各自の場所に少しずつ入れました。次に いったいどうすれば良いのかわからないまま エバンがさっきいた場所まで行きました。はじめは他の牛たちと少し離れた所にいたユーチカも 私たちを見て心配になったのか エバンの近くまでやって来ました。

土手を背にしてうずくまっていたエバンを起こして,ゆっくり牛舎の方向に歩かせようとしました。意外にも エバンはしっかりした足取りで歩くのですが そのうち母親を追い始め 他の牛たちといっしょに牛舎からどんどん離れて行きました。

これではらちが明かない とJおじさんは 牛舎までロープを取りに行きました。そして,エバンの首にロープをかけて 誘導しようとすると エバンはいやがって 全力で抵抗しました。こんなことをしていては かえって疲れさせてしまう とすぐにロープを外し,もう一度 私たちがそれぞれエバンの左右に付いて 牛舎への出口に向って歩かせようとしました。

その後のことを考えると《奇跡》という言葉しか思いつきません。エバンは 私たちにエスコートされて まるで 私たちが何をしようとしているのか、そして それが自分のためになることを理解したかのように まっすぐ,迷うことなく 牛舎に続く出口に向って歩いてくれました。放牧地を出て,牛舎横のパドックに入るところで ふと後ろを見ると ユーチカがいました。他の牛たちは だれも付いて来ませんでした。

こうして,エバンとユーチカだけ牛舎に入れることができたのですが 奇跡はここで終りでした。牛舎に入るなり エバンは倒れて、苦しみ始めました。もうその頃は 夜中の2時を回っていて 獣医さんを呼ぶべきかどうか 迷いました。

ふつう 子牛の病気ぐらいで 夜中に獣医さんをたたき起して来てもらう人などいません。それだけの価値が子牛にはないからです。また,決心の付かないまま Jおじさんと小屋でぼんやりしていたのですが 朝になるまで様子を見るにしても 心配で 眠るどころか、じっとしていられません。

そうしているうちに エバンは大声を上げてもがき出しました。見ていてあまりにもかわいそうなので 獣医さんには気の毒だけど 電話して来てもらうことにしました。幸い その日の当直は 若いL先生だったので すぐに来る と言ってくださいました。それから 先生が到着するまでの30分は 本当に長く感じました。エバンはますます苦しそうで 大きく口を開けて舌を出し ハアハアあえぎながらやっと呼吸している状態でした。

3時過ぎに先生が到着して,熱を測り,聴診器を当ている間、エバンは 横になったままもがき続けました。注射を3本してもらって、先生が牛舎前に停めてあった車の中で処方箋を書いていた時、ふと エバンがもがくのを止めたのに気が付きました。私が『あれっ,エバン 動くの止めた。』と言うと Jおじさんは顔色を変えて 牛舎に飛び込みました。

エバンは もう苦しむことなど何にもない天国に行ってしまいました。(つづく)

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エミリーパンダ

話が少しさかのぼりますが 11月末に牛たちがジョンさんちから戻って来た時 エドワードの右目下に 穴が空いているのに気が付きました。(穴 と言うのは 毛がない という意味。)近くでよくよく見ると かさぶたのようになっていたので 一年生によくある《イボ》だろう と別に何もしませんでした。

12月も下旬になり 牛たちが牛舎に来るようになると エドワードの隣の席のエミリーにも 同じようなかさぶたができているのを発見しました。あれっ,これ《イボ》じゃないよ と思ったのですが,エドワードのが きれいになくなっていたので その時も 何もしませんでした。

それが いつの間にか かさぶたが右目から左目,さらに口の周りまで広がって ついにパンダになってしまったのです。

Emiie Panda

エミリーは 2009年生れE組(全部で7頭)の紅一点。細長い顔に 大きなお耳,おでこにノの字の白い斑が入っていて,目はぱっちりの まれに見る美少女です。毛色も赤く、おしりも、Jおじさんの言う座薬型ではなく、幅があり,脚も細長く、その上性格まで良く,非の打ち所がありません。なのに これじゃあ,お嫁に行けたものではありません。

もちろん パンダになってしまう前に いろいろ調べて 菌で移る皮膚病(日本語がわかりません。すみません。)であることがわかり,グリースのようなものを塗ると広がらない と本に書いてあったので その通りにしたのですが それ位では止まりませんでした。

そして,先週になると 同じ一年生のユーロと牝牛組のだなえ、そして子牛のエリオットにも この病気特有の10円玉穴ができたこともあって,ちゃんとした治療を始めました。これを獣医さんに言うと 体中にかける薬を処方してくれるところですが うちはできる限り化学薬品は使いたくないので いつものようにホメオパシーです。

まず、うちにあったカレンドゥラのクリームを塗ると,広がらなくなりました。かさぶたの色も濃くなって来て,なんとなく良くなったような気がします。でも,続けて治療しないといけないのですが,牛の顔は大きいので 人間用の小さい容器のクリームだと すぐになくなってしまいます。それで,今日は 薬局に行ってカレンドゥラの原液を買って来ました。これだと 顔中にスプレーできますから。

かわいそうに かゆくないからまだ良いものの せっかくの美少女がだいなしで,一日も早く治って欲しいものです。それにしても,エミリーだけひどくなったのは 最初にかかったエドワードと仲良しだから と言うのもありますが、これもやっぱり 皮膚が弱かったイッジーばあちゃんの遺伝子かなぁ と考えてしまいます。

また雪

昨日は 日曜日だったし,お天気もまあまあだったので、牛たちの食堂を開けたのは ゆっくりで 3時過ぎでした。まず,牛舎のすぐ横にいる本隊の牛たちを入れて,次に 道の向こう側に隔離してあるアーニカとエルネスト(エドゥ)を連れて来て ホッとしたところで 雪が降り始めました。

午後は雨か雪 という予報だったけれど 気温が5℃まで上がり 多分雨になるだろう と思っていたのに。そう言えば 急に寒くなったような・・・。でも,まさか積もらないよね と思いながら小屋の窓から外を見ていると 地面がだんだん白くなって来ました。

そうして 日が暮れて暗くなり始めるころには 2~3センチ積もりました。これが去年の冬だったら『わーっ,雪!』とか感激したでしょうが この間の40センチ(ところにより50センチだったとか)というのがあるので,私たちの反応は 『あっ、そう』程度でした。

でも,気温は あれよあれよと言う間に零下に下がるし,天気予報によると 夜もにわか雪 と言うことで 迷わず牛たちやお馬さんたちを牛舎に泊めることにしました。

そうなると いつもの食堂とはサービスの内容が全く違います。ふだんは お天気やJおじさんの都合で 早くて午後1時半ごろ,遅い時は3時ごろまでに牛たちを牛舎に入れて,夕方 暗くなるころ(6時過ぎ)にJおじさんがバケツで一頭一頭水を飲ませて,乾草を補給して だいたいみんなが食べ終わる7時から8時ごろに 外に出します。

ちなみに 牛やお馬さんたちの餌は 100%牧草(野原の草)で 冬も100%自家製の乾草(サイレージはなし)だけです。前は ビートも食べさせていたけれど、まず 作るのが大変で、食べやすいように切るのも手がかかるし それだけのご利益があるのかもはっきりしないので 今年はやめました。ということで 本当に自家製の草しか食べさせないので 乾草は食べたいだけ食べさせています。(母牛一頭につき2トンの計算。)

だから 全員牛舎にお泊まり となると 水の配給と乾草補給が それぞれいつもより一回多くなるばかりではなく、その前に一度掃除をして わらを寝床用に厚めに敷く と仕事が大幅に増えます。おかげで 昨日は 途中、私たちも晩ごはんを食べて 最後のサービスを終えると もう11時でした。

そして,今朝。

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雪は2、3センチのままですが 風がなかったので 木々が真っ白に。

だけど、今日は朝からお天気が良かったので 牛たちを食堂に入れる時間(今日は特別に遅くて 4時)には もうほとんど融けてしまいました。

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だから、今日はみんな外に出しても大丈夫 と言うと Jおじさん、がっかりしていました。昨日からずっと 牛舎の掃除や餌やりで休む暇もなかったのに・・・ 雪も また出られなくなるほど降って欲しかったそうです。

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