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ボラン農場の牛たち

アルモリカの小さな村からアルモリカンArmoricaine牛たちのお話をお届けします。

インターネット騒動記 その二

ただでも高いと思っていたアンテナ設置料に加えて、ルーター設定は コンピューター屋さんに来てもらわないといけない とわかり、私たちは まるで詐欺に遭ったような気持ちでした。それに、私たちは アンテナを自分で立てたため、アンテナ調整ができていないのに、コンピュータ屋さんに来てもらってもどうしようもありません。

プロバイダーさんから いったいどんな提案があるか 半分びくびく待っていたのですが、火曜日も、水曜日も、連絡がありませんでした。今日、連絡がなかったら・・・ と言うJおじさんに フランスでは 黙って待ってるとべつに必要ない と思われるから、しつこく電話せなあかん と説得して 電話してもらったのが木曜日でした。

連絡がなかったのは やっぱり、まだ結論が出ていない ということで、結局『早よしてください。』と催促しただけで終わりました。私は 郵便局に行く用事があったので、買い物も兼ねて 隣町に出掛けました。

町の真ん中にある郵便局と銀行に行き、その後 いつも行くスーパーで買い物を済ませ、車に一週間分の食料を積み、カートを所定の位置に戻している時でした。スーパーの横の道を 見慣れた車が走って来ました。へえー、Jおじさんと同じ車や と思って見ていると、その車は スーパーの駐車場に入り、私めがけて走って来るではありませんか!

よく見ると、それは同じ車ではなく、Jおじさんでした。オスカルを後ろに乗せて、どこ行くのぉ と思ったら、Jおじさんは 私に 緊急事態やからすぐ戻れ と真面目な顔で言うのです。私は 一体何が起こったのかと 心配してしまいました。

Jが言うには 私が家を出た直後、プロバイダーさんから電話があり、これからルーターの設定の仕方を教えるから、その通り コンピューターの操作をするように言われて やったみたけれど ルーターのプログラムは開かなかった と・・・。あたりまえやん。さっき、内臓モデムでインターネットやったから、ネットワークはそっちに設定したやん、と言っても ピンと来ないほどJおじさんは大のコンピューター音痴です。

プロバイダーさんに言われた通りあれこれやってもダメで、私が5時頃には戻るので その頃また電話してもらうように頼んだそうです。ところが 私がなかなか戻らないので、心配になったJおじさんは わざわざスーパーまで見に来たのです。どちらにしろ 私はもう帰るところで、5時には家に着いていたので 全く何の役にも立たなかったところが とてもJおじさんらしいです。

さて、家に戻り、パソコンの用意をして待っていると 5時半ごろ さっきの方から電話がありました。さっきで懲りたのか その方から 私の新しい方のバソコンを使うように と言われました。その通りすると、どうにかプログラムが開きました。でも、私のは 日本語キーボードでアルファベットは英語並び(左上からQWERTY)です。私は そのキーボードをフランス語設定にしているので アルファベットで左上からたたくと AZERTY と出て来ます。その状態で 意味もない長ーいコードをたたくのは至難の業です。それが 画面に表示されないパスワードとなると 気が狂いそうになります。

私があんまりのろのろしていたので、プロバイダーさんに急かせられながら ようやく設定が終わりました。これから 担当の人に 遠隔操作でアンテナ調整をしてもらうから 5分ほど待つように言われました。10分過ぎても電話がないので どうしたのかなぁ と思っていると、6時を過ぎて、係の人が帰ってしまったので、アンテナ調整は明日の朝してもらうから、できたらまた電話します と連絡がありました。

やれやれ、私がのろのろしたせいで その日はとうとうダメでした。でも、これで もうすぐつながる と思うだけでもううれしくなりました。それを知っていれば さっきのスーパーで お祝い用のワインかなんか買っておくべきだった と後悔しました。でもまあ、まだつながっていないことだから、お祝いは明日にしよう ということに。

その翌日、金曜日、の朝、プロバイダーさんの同じ方から電話がありました。アンテナの調整ができたので、つながっているかどうかの確認です。今度は 私の日本語のパソコンではなくて 古い方を使わせてもらいました。さあ、サファリを開けてみると・・・ 見事につながりませんでした。

それから、考えられる全ての確認が始まりました。念のため、昨日ルーター設定した時に データの入れ間違いをしなかったかも確認しました。表示しないからわからないのですが、心配していた通り、パスワードが違っていたようです。パスワードをインプットし直して どうかな? と思ったけれど まだダメでした。

次に、アンテナの状態を見ると データが入っていないのが判明しました。よく見ると そこのスイッチがOFFになっていて、そこをONすると サササッとデータが表示されました。その後、もう一度サファリを開けると・・・あの《ボラン農場の牛たち》が映ったのです。

私はもう大感激。Jおじさんからもプロバイダーさんにお礼を言ってもらいました。これでとうとううちにもインターネットが来た!それもアンテナ屋さんの200ユーロが浮いた! とJおじさんと大喜びしました。

でも、この喜びも 長続きしませんでした。

午前中はサクサク動いたインターネットも 午後になるとよたよたし出したのです。それも、今までの電話の超低速インターネットよりずっと遅いのです。これでは使い物にならない と夕方、またプロバイダーさんに電話しました。だいたい、《もう心は週末》の金曜日の6時前に電話する方が悪いのです。全部一度コンセントを外して、再スタートさせ 様子を見て、月曜日になっても調子が悪かったら また電話せよ と言う返事でした。

私たちは もしかして接続ケーブルが良くないかも と交換したり、接続プラグがしっかり固定されているか いろんなことをやってみました。そうしているうちに、インターネットは突然快調に動き出したのです。いったい何が良くないのかわからないまま、その日は夜中まで快調でした。

その翌日の昨日の朝、インターネットを開けてみると またもや、よたよたでした。わけがわからないので 本当に困ってしまいました。見ていてもしょうがないので Jおじさんの命令で、私は インターネット接続お祝い用のワインを買いに(他にも買うものがあった)走らされました。

家に戻ると、Jおじさんは 『こんな速かったら上出来やー』と上機嫌でインターネットサーフ中でした。また、なんだかわからないうちに 突然動き出したそうです。その後、昨日は一日中快調でした。なので、昨日の夜は 予定通りお祝いしたことは言うまでもありません。

そして、今朝 おそるおそるインターネットを開いてみたのですが、やっぱりちゃんと動いています。また、もしかしたら“よたよた”が来るかも知れないけれど、これならまず大丈夫です。

もう、何年もADSLが引けなくて、悔しい思いをしたけれど、とうとう本物のインターネットが来たのです。つながる前は あれもこれも と思っていたのですが、私はまだ仕事が忙しいので ぼちぼちやって行きます。(Jおじさんはパソコンの前を動かない。)今は 私たち、大喜びしてるけれど そのうちに これがふつうになるんだろうなぁ と思います。

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この騒ぎの間に 牛たちはもう一つ上に移動し、今日はもうよそに行きたくて、モーモー言ってます。
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インターネット騒動記 その一

もう何日も前に《雨だぁー!》という題で書くもりだったのに・・・ とにかく、おかげさまで草も伸び始めて ほっとしています。

さて、山奥のT村でもボラン農場だけ ADSLが引けない という話は もう何回もしました。(ここここをご覧ください。)フ○○○テレコムは ADSLが行かないところがあっても知らん顔なので、去年から県が4200万ユーロの大金を投じて 県民全員に高速インターネットを という事業を進めて来ました。幹線道路に沿って光ファイバーを通し、ADSL空白地帯(というのもあり)を重点に Wimaxのリレーアンテナが建ちました。

それが とうとう 今年の1月には使用開始 ということで、去年の12月、農業従事者を対象にした説明会があり 私も出席しました。県の関係者やプロバイダー2社の話を聞いて、そのうち日本向けの通話料金がパカ安い方を選び 私は ああ、もうすぐー! とわくわくしていました。

ところが、そこに1月早々電話したら『現在 県と協議していることがありますので 2月になったらお電話ください。』と言うことでした。

2月になって電話したら、『まだお申込み受付を行っていませんので 2週間ほどしたら またお電話ください。』でした。私が 受付開始したら教えていただけませんか と聞いたら、『いえ、忘れてしまうといけないので、お客様からお電話ください。』という返事でした。

こういうやり取りが何度もあって、いよいよ申込書を送ってもらったのは 3月ごろでした。ところが 説明会では アンテナは自分で設置して、プロバイダーと契約している人がアンテナの調整に来てくれる という話だったのに『アンテナ設置は 当社が指定した業者しか行うことができません。』ということでした。

アンテナを設置してもらうと 約200ユーロかかる と聞いて、私のわくわくする気持ちは もう半分ぐらいなくなってしまいました。その上に 貸してもらうルーターの保証金が100ユーロ、初回手数料が49ユーロ と単につなぐだけで こんなにお金がかかるのがわかりました。多分、つながるはずだけど、実際にアンテナを立ててみないとわからない と言う状況なのに、それがわかるまで こんな大金がかかるのです。

あんなにしつこく電話したので、そこで引き下がる訳にも行かず、申込書は送ってもらったものの、そんな贅沢はできない とあきらめるしかありませんでした。

ところが、ちょうどその頃 あのクレージーな量の翻訳の仕事をもらい始めたのです。仕事をもらうのに インターネットは超低速(ナローバンド でしたっけ、マックスさん?)だから、重いファイルはダメ などと言ってられません。仕事のためだから とWimax申込書をひっぱり出して来て、チェックを同封してプロバイターに送ったのが 4月のはじめでした。

アンテナ(県が援助してくれた)とルーターは 意外と速く、2週間ほどで届きました。見ると、アンテナ設置に必要な物は ポール以外みんな揃っていて、指定の業者さん というのもみんな遠くて、出張費だけでも高く付きそうなので ちょうど あの新品同様の足場もあるし、Jおじさんが設置する と言い出しました。それで プロバイダーに電話すると どうぞどうぞ という返事でした。

それから、お天気が良くて Jおじさんは忙しく、何週間もそのままになっていました。それでも、時々、さてどこに設置しようか と双眼鏡でリレーアンテナを眺めていました。ボラン農場は ちょうど 北側にあるリレーアンテナと南側のとの ちょうど真ん中に位置します。私は 説明会の時、南のリレーアンテナでシミュレーションしてもらったのですが、T村は 北のリレーアンテナの範囲とか・・・。そうしているうちに、木々の葉が出て、冬の間よく見えていた北のリレーアンテナが見えなくなってしまいました。

Wimaxはテレビと同じ電波 と言うのに、間に障害物があってはダメだそうです。うちの周りは木が多いので 受信アンテナは よっぽと高い所に付けないといけません。それで 最後の望み とJおじさんが 南を目指して 納屋の屋根の高さまで上ったら・・・ リレーアンテナが ちょうど木の間から見えたのです。

そこなら絶対大丈夫 と受信アンテナを立ててくれたのが 先週のことでした。ポールになる金属管を買って来て、保持用の金具を自分で作って、ケーブルを小屋まで引いて、アンテナの電源ボックスを固定して、ルーターの位置を決めるまで 何日もかかりました。

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やっとハードの準備ができて リレーアンテナとの接続のため プロバイダーに電話したら、話はチンプンカンプンでした。アンテナのナンバー(これはわかる)となんとかIDと言うのが必要なのですが、それをどうやって見つければいいのか 全くわかりませんでした。

どうしてもわからなくて 2度目に電話した時、自分で設置する時のための説明書をもらっていないのがやっとわかりました。それをすぐにメールで送ってもらい、それに従ってルーターで、アンテナの設定をすることにしました。ところが、ルーターは何にも言わず、全く先に進めませんでした。

今週の月曜日は祭日だったので、火曜日にプロバイダーに電話して聞いてみました。説明書通りにアドレスを入れても プログラムが開かないことを説明したら、係の人が調査してくれました。かなり待たされて 係の人が言ったのは『すみません。当社の説明書を送った者のミスなのですが、お客様のルーターは 指定業者にしか設定ができないタイプです。そちらの県は 指定業者による設置が義務づけられております。』!!!

節約のため自分たちで設置しようとしたのは 間違いだったのです。私はあわてて、指定業者のリストを出して来て、三社のうち一番近い所(と言っても50キロ)から電話をかけました。

一社目:『ええっ、もうアンテナ立てたんですか。じゃあ、私のすることはもうありません。アンテナを立てて、電波が来ていることを確認するだけで、ルーターの設定はしてません。』?!

二社目:『ええっ、○○○ネット(ブロバイダー)ですか。うちは ○○○○テレコム(競合)しか扱ってません。○○○ネットからは連絡がなかったので、知りません。』!!

プロバイダーの担当者は みんな研修を受けて、認証を受けた業者 って言ってたのに?!(三社目は留守番電話で、折り返し電話してくれなかった。)私は アタマに来て、すぐにプロバイダーに電話しました。電話に出たのはさっきの人だったので『あんた、ウソ付いたらあかんで!』とつい言ってしまいました。そして、状況を良く説明すると、『上司と相談してこちらからご連絡します。』 ということに・・・(続く)

捕らぬ狸の・・・

まだ出発していないのに、もうほとんど売り切れてしまったカシューのことを書くつもりだったのに,予期しない仕事が入り(10日位休みやなかったん、と言いたいところをぐっとこらえて,ありがたく頂戴した。)後回しになってしまいました。

そうしているうちに 枝肉の重量と予想されるお肉の重量が出ました。350キロ×56%で195キロ=19箱 とぜんぜん足りません。二箱目は次回でも良い と言ってくださるお客さんのお言葉に甘えても,やっぱりお断りするお客様が出てしまいました。もちろん,私たちの分もなし。(レバーだとかモツでがまん。)

今回は 3月~4月に予定していた分を飛ばしたので,こんなに早く売れたのですが,これまでの売れ残りの恐怖が 売り切れの恐怖に変わるとは・・・ これを機会に,二ヵ月に一回の販売体制が取れるか というのが 今の課題です。

さて,カシューですが,この冬天国に行ったユゴリンの息子で,2007年1月1日の数分前に生まれました。その時のことは 今でも良く覚えていて,あぁ あの子がもう と感慨深いです。カシューは もともと小さくて,発育もあまり良くありませんでした。この冬、青草が食べられなかったこともあって,40ヵ月過ぎたのに枝肉で400キロありませんでした。

でも,カシューは巻き毛だったので,きっと肉質が良い と期待しています。それに,枝肉が400キロ越えると ステーキが大き過ぎる というクレームが出るので,これ位が一番 ということにしました。

いつものことだけど,素直に,信頼してトラックに乗ってくれたカシュー。(予定より45分遅れる とトラックの運転手さんから電話があって、どんな野蛮な牛といっしょに乗せられるのか と心配したら,大暴れしたのは8ヵ月の子牛だった。)今ごろは ユゴリンといっしょに 姉のアリスから 空を飛ぶトレーニングを受けていることでしょう。

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ラストスパート

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お肉販売の案内状をお客様に送るのと 同じ位大事な緊急事項が もう一つありました。それは 毎年5月15日締め切りの ヨーロッパ共通農業政策の農地申告です。これがありとあらゆる農業の助成金のベースとなっていて これを提出しないと 何ももらえません。

いつも、その書類が4月の中旬には届いて,毎日それを横目で見ながら、雨が降ったらね とか まだ、時間があるよね とか、気にはなっていても なかなかやる気になれない 葛藤の1ヵ月を送ることなります。

ところが、今年は それがいつまで経っても届きませんでした。毎年,締め切り直前に大騒ぎになることだから,私も 今週はそちらに専念できるように予定していました。それなのに,5月になり,締め切りまでもうあと一週間になっても,書類は届きませんでした。

そうなると,いつもはのんびりのJおじさんもさすが心配になって 申告の提出先である県の機関に電話しました。すると,環境保護措置の書類が遅れて,それに関係する人たち(Jおじさんもその一人)への書類が発送待ちになっていたけれど もう届いても良いはず という返事でした。

係の人の言う通り,書類は その日の郵便で届きました。心配した県の係の人が,午後に 届いたかどうか確認の電話をしてくれたのですが,係の人に質問されて 郵便局の消印を見たら,4月30日 となっていました。要するに,それが配達されるまで一週間かかったわけです。もともと,発送が遅れたのだから 急いで欲しかったのに・・・。

さて,ようやく届いた書類は いつもに比べてイヤに軽く感じました。受け取った時は Jおじさんも,私も忙しかったので,農林水産大臣のレターをちらっと読んだ程度でした。その中に 申告の簡素化 とか書いてあったので,そのせいで紙を減らしたんだろう と思っていました。

確かに、今まで その書類には 個人データが入った使い切れない数のラベルが付いていたり,コストを考えると もったいない と思ってしまうものでした。山のような書類は 全部感圧紙で オリジナルを送って,コビーは保存 というシステムです。うちはどれも数行で済むことなのに,同じ用紙が何部も入っていたりして、結局 使わないで捨てていました。

今年は 締め切りが5月17日 となっていたので,土日でできる と少し気を抜いていたのですが,お肉販売の案内状ができた木曜日に 私はJおじさんに そろそろ始めた方が良いのでは と言いました。幸い,金曜日は 時々雨だったので Jおじさんは ジョンさんちの放牧地拡大作業を中断して 午後から書類に取りかかることにしました。

記入する前に読む説明書だけでも二冊。今年はシステムが変わって,木の植わった土手の長さとか,畑の中にある木の本数とかも 農地面積に換算される とか聞いていた(でもそういうのはなかった)ので 特に、注意して読む必要がありました。読書は Jおじさんに任せて,私は ひたすら申告する数字の計算 といつものように連携プレーです。

そして,記入し始めてJおじさんが気が付いたのですが,今年は感圧紙ではありませんでした。だから,何でも控え用に二回記入しないといけません。コスト節減のためなら これくらいどうってことはないのですが,環境保護措置の書類は どれも一部だけ。それも いつもなら すでに記入してある去年のデータもなし。もう,遅くなってどうしようもなくなって送った のがありありと見えます。

さて,肝心の航空写真(これも一部ずつしかなかった)ですが その写真に 自分が使っている農地を示し、それをコンピューターに入力して出た数字が正式な農地面積になります。今年は その計算ソフトが進化したらしく,去年提出した通りだと ボラン農場の面積は 300平方メートル少なくなってしまいました。それに,お隣に線が入っていたようで(お隣がうちに入ったのではなくて?)、もう100平方メートル削除されていました。

今回 ジョンさんちの放牧地を拡げた分 新たに記入しないといけません。Jおじさんは 自分で杭を打ち、柵を作ったので その場所は良く知っています。でも、それをその通り正確に紙の上に線を引け と言われても無理です。線自体の太さもあるし,ほんの1ミリ違うと、すぐに100平方メートルの誤差が出るからです。でも,計算ソフトがそう言ったから と紙に引いた線が《真実》となるのです。

数字上の100平方メートルなんて,1ヘクタールに付きXXXユーロの助成金に換算したら微々たるものですが,実際の100平方メートルは尊いものです。牛がそこまで草を食べに行く というのが《真実》であって、紙やコンピューターの画面上の線は バーチャルなものでしかありません。と言うのに、農業従事者が こんな非現実的なことに(お天気の良い)5月の数日を割いて(もしくは公認会計士に頼んで)、少しでもたくさんの助成金をもらおうと必死になる事自体がおかしい と私は思います。

ヨーロッパやフランスが貧乏になっても 農業は支援し続ける と誰かが言っていました。都会で一生懸命働いているのに,まともな住いもなく、食べて行くのに精一杯の人が 今 全国の農業従事者が仕事放ったらかしでやっていることを見たら どんな気持ちになるでしょうか。

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こんなことを言いながら、金曜日 遅くまでかかり、全部記入し終り,コビーを取って、確認したのは土曜日の朝でした。説明書を読むと 5月17日必着(消印有効ではなくて)となっていたので,おじさんが大急ぎで郵便局まで走り、一件落着となりました。

ボラン農場、草がなければ 肉もなし

5月ももう半ばの と言うのに寒い日が続きます。今は《氷の聖人》と呼ばれる時期に当たるそうで,寒さのぶり返しならまだわかるけれど,ずっと寒いままです。そして,今朝はとうとう霜が降りました。(-1℃とか。)それに,雨も少し降ったけれど まだまだ乾燥気味で,草がなかなか伸びてくれません。今に一気に伸びるんでしょうけど・・・。

では,とりあえず ボラン農場の近況です。

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私は 今週(火曜日以降)は 久々に翻訳の仕事がなくてほっとする間もなく,ボラン農場の最大のイベントであるお肉の販売です。本当は3月に予定していたお肉の販売が 大幅に遅れていたのです。

と言うのも,羊飼いのジョンさんちにいる去勢たちは 冬でもけっこう草があるので 一年中丸々太っている・・・はずだったのが,今年は なんと 痩せてしまったのです。そうです。あの大雪のせいです。もちろん、草架に乾草を入れてあったけれど,それだけでは牛は太りません。それに一番おいしい乾草は ボラン農場の母牛たちにやったので,いつも乾草はそれほど食べない去勢たちのは 残り物でした。

ジョンさんちの牧場を借りて,去勢たちを放牧するようになって初めの3年は 雨が多くて,暖かい冬が続きました。だから,それがふつうだと思っていたら,4年目の今年,雪が積もるまともな冬になったのです。建物なしの年中放牧は 冬も暖かいから可能であって、あまり寒いと 当然,牛は痩せてしまいます。

このあたりの肉牛は みんな年中放牧なので 牛たちはみんな厳しい冬を過ごしたわけです。一応,肉牛の場合でも 全頭入れられる牛舎が推奨されてはいるけど,牛舎なし というのも よくあります。肉牛は 最低限の設備投資でできる というイメージがあるけれど 世の中そんなうまい話はありません。

今回,お肉の販売が遅くなって お客様をお待たせてしまったのも良くないけれど,痩せてしまった去勢たちがかわいそうです。それに 一度痩せたお肉って、草を食べて回復しても おいしくないんじゃないか とか心配もあります。今度の冬は もっとおいしい物を食べさせて,雪が積もっても避難できるところを作ってやらないと・・・。

こちらは ぜんぜん痩せなかったボラン農場の牛たちです。

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やっと雨,そして・・・

先週の水曜日は まるで夏のように暑くなったのに,その日を境にお天気が不安定になり,とうとう雨が降りました(ホッ!)。と言っても,大した降り方ではないし,それに気温が低くて(今日は10℃以下)、わぁーっ、草が伸びた!と言えるほどではありません。

雨が降らないうちに終わらせよう と一生懸命だったJおじさん。本格的に降り出す前に ブロックを積み終わりました。どうぞ、ご覧ください。

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こちらは 南側で、並木道を歩いて来ると見える,家の顔です。

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上の二つの窓は もともと予定になくて、それが丸窓になったり,いや,このプロックで丸窓は難しい とか,もめにもめて,私は何度も絵を描かされて、結局この形,このサイズになった苦心作です。この場所にあるのは 天井が高くて、ここまで来るからです。

平屋建てだけど,なにしろここは豪雪地帯(?)なので,屋根は 雪が落ち易いように45度の傾斜にしてあります。(本当は雨が多いせい。)後は 屋根屋さんが来てくれるのを待つばかリです。

前にあった石造りの家を壊し始めたのが2006年の8月だったので,もうかれこれ4年になります。いつものように《ゆ~っくり》だけど、ここまでほとんど一人でやったJおじさんはえらい!

さて,そうしている間に 牛たちから苦情が出始めたので,一つ下の放牧地にも行けるように柵を開けてやりました。

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それが水曜日(写真は夜の7時過ぎ)のことで まだ今のところ満足しているようで 静かです。