
牛たちは、数日前にボラン農場最南端ちょっと手前の、要するに、家からは様子が分からない牧区に移動しました。朝晩、牛たちの様子を見に行くのは、私の役目。昨日の朝も、いつも通り、
家の前の道を下りて行って、一つ手前の牧草地に入ると、木の向こうに牛たちが見えるかな、
と思ったけど見えません。
そのまま、どんどん下りて行って、牛たちがいる(はずの)牧区まで行っても、牛の姿は見えません。
たった1ヘクタールの細長い牧草地だけど、少し起伏があって、向こうの端は見えません。きっと、あっち側にいるんだろう、とますます早足にどんどん進んで行っても、牛一頭見あたりません。
《冗談でしょ? 冗談よね?》と心の中で繰り返しながら、向う側の端が見える地点まで進んだけれど、牛の姿なし!
と思ったと同時に、もう一つ下の湿地に赤い牛がいるのが見えました。
《ええーっ! 柵開いてたのー?!》とあわてて走り出しました。
そこは、予期しない所に水源らしきものがある危険な場所で、その昔、肥満牛のユゴリンが穴にはまり、自力で出られなくなって以来、よっぽど乾燥していない限り、立入禁止区域です。
とにかく、牛たちをそこから出そう、とマルキーズを呼ぼうとした瞬間、中に大きな黒い牛がいるのに気が付きました。
その巨大さと、声は、ホルスタインの種雄牛!!!!!!
即、Jおじさんに電話です。
助っ人のJを待つ時間の長かったこと・・・。
そのホルスの種雄牛は、1才になったばかりのジュリーを狙ってました。
Jが脅して、一度は入ってきた時と同じ所(壊した所)から出て行ったので、牛たちを正規の場所に戻したですが、相手は種雄牛です。かわいい子を見つけたのに、そう簡単に引き下がってはくれません。
Jが壊れた柵の応急処置をしているうちに、種雄牛くんは、ボラン農場外側の道を駆け上がり、一つ上の牧区の柵を壊してまた中に入って来ました。
牧草地を突っ切って全力で走って来る種雄牛を前に、牛たちのいる所には絶対に入れまい、と私とオスカルで入り口を守ったら、またまた柵を壊して牛の群れの中に突入!!!!
もう、悪夢です。
T村のこの地区では、牛の脱走はよくあることです。ボラン農場は、西にホルスタイン×ノルマン×アルモリカンのF君、東にリムザン(リムーザンと表記する根拠はないと思うので)のL君、と両方から侵入されます。ホルスの徘徊など珍しくもなく、各戸対応策を取っていて、そのうち飽きたらお家に帰るわ、と驚きもしません。
そう言うと無責任に聞こえるかも知れませんが、ボラン農場以南の道は私道で一般の人は通らないし、西に行くとF君の家、北に行くとF君の牛舎があり、特に危険はないからです。
しかし、種雄牛だけは別です。
ちょっとやそっと脅しても、オスカルが吠えても、怖がってくれません。かわいい子を見つけた時はなおさらです。じゃましようものなら、こちらが襲われてしまいます。
種雄牛くんが牛の群れの中にジュリーを見つけて、ごきげんになっている間に、Jはトラクターを取りに行きました。
トラクターに乗ったJと種雄牛のすさまじい戦いの様子を想像してみてください。
私とJの意思が通じてなくてハチャメチャになったけど、Jが種雄牛をトラクターで外の道に押し出している間に、私は牛たちをどんどん上の牧区に避難させました。
牛たちが、一番安全な場所である牛舎裏に到着するまでに、種雄牛は何度柵を壊して戻って来たことか・・・。向こうも必死だったけれど、こちらも必死でした。
牛たちが安全な場所に避難し、JがFくんを呼びに行き(電話に出なかったから)、Fくんが種雄牛を遠いところに連れて行ってくれて、コトはやっと収拾。壊された柵を元に戻すと、もうお昼でした。
それにしても、うちの牛たちのかしこさには本当に感謝です。いつものことながら、マルキーズが、今回は黒いインベーターに迷惑してたみたいで、私の顔を見るとすぐに来てくれて、みんなその後をついて来てくれて、速やかに避難できました。
この日は、おかげで、午前中にやるはずだったことが午後になり、夜10時前になってやっと終わった、と思ったら、
去勢組がいるジョンさんちの奥さまから電話で、
『馬たちが囲いから出て、うちの方に来てるよ。』と・・・。
もう暗くなりかけていたので、私も行きました。おんまさんたちは簡単に捕まってくれたけど、柵を直して、去勢くんたちのところから電牧を借りて来たりして、家に戻ったらもうすぐ12時でした。
のどかな田舎生活だけど、たまにはこんな日もあるものです。
PS : 今朝は、東側のリムザンの子牛たちが入って来ようとしたところを、怖い顔をして脅かしてやった。一目散に走って帰る姿がかわいかった。
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このブログを始めた2006年12月に《
バイバイおかず》と言う記事を書きました。初代おかずが、調教師さんのところに買われて行った時です。
性格は良かったけれど、おっとり(デレッと)し過ぎで、歩くのが遅く、仕事はお母さん任せで、後から付いて行く悪いクセがあったので、手放すことにしました。その初代おかずは、その後、馬を使って農業や林業をしている方のところに行って、三頭立ての真ん中で働いています。実際に見たわけではないけれど、それが写真集のような本になって、それを見せてもらいました。なるほど、二頭に挟まれると、いっしょに歩くしかないでしょうね。
その後、姉のポポットが急死し、お母さんのリュチックしかいなくなり、Jおじさんは、いつかオスの子馬を買って、去勢馬《フィンダスとピカール》の二頭立てにする、と言っていました。
それを聞いた近所の方が、オスの子馬を紹介してくださいました。そのうち一頭は、Jおじさん好みの粕毛!今は、家の工事もまだまだ終わっていないのに、子馬のめんどうを見る時間がないからダメ、と言いながら、とうとう一頭だけ買ってしまいました。去年の12月のことです。

栗色系の粕毛と聞いていたのに、血統書にもそう書いてあるけど、ボラン農場に来た時は、リュチックと同じ栗毛で、ちょっとがっかり。でも、今まで全く人間と付き合いがなかった子馬にしては、物事を良く理解するかしこい子で、Jおじさんはご満悦。
血統書には、規則通りの《E》で始まる名前が付いていましたが、本人(本馬)もそんな名前で呼ばれたことがなく、もっと良い名前をと、私の提案が、
将来の《ごはんとおかず》の《ごはん》!
でも、Jおじさんの選択は
《おかず》!
で決まりました。おかず二世です。
そのおかずくん、学習意欲旺盛で、あっという間に、良い子馬なら今のうちに覚えておかないといけないことを全部マスターしてしまいました。
先月は、ジョンさんち牧場に行くのに(まだ向うに行ったきり)トレーラーに乗りました。

えっ、これおかずですよ。色がちがう、って?
そう、そうなんです。冬の間に、おかずは白馬になってしまいました。それに少し色が付いて来ていますが、遠くから見ると、頭だけ栗毛の白馬です。そうやって、色が変わるのが粕毛の特徴なのでしょうか。
もともと、ブルトン種の馬は、主に粕毛だったそうです。同じ種類で交配を続けると、そうなるものなのでしょうか。でも、色が混ざっていると雑種のように見られるので、栗毛一色(足の先は白)が好まれて、近年、粕毛馬は稀になりました。
その毛色の好みは、アルモリカン牛も同じです。もともと、白地に赤の斑点だったのが、赤が多い牛が好まれて、今は、おなか以外は赤一色の牛が主流になりました。
でも、牛にしろ馬にしろ、みんな同じ色じゃつまらないですよね。

夏の初めはカラカラお天気で草も枯れかけたけど、今週は雨。乾草ロールもお道具も全部納屋に入れたので、はい、どうぞ好きなだけ降ってくださ〜い。
タイトルに《スモールファーマー》を考えたけれど、人によって、この《スモール》の定義がまちまちで、私たちとは違うと思っている人たちといっしょにされるのはイヤなので、《零細農》という言葉を選びました。ボラン農場では、農地はたった25ヘクタールしかなく、牛もそんなにたくさんの頭数は飼えず、私が翻訳の内職をして生計を支えているので、当たっていると思います。
ボラン農場には草しか生えませんから、冬のために、草を刈り、それを乾燥させてまとめたのを、業者さんにロールにしてもらいます。その業者さんのトラクターや機械が年々大型化し、もうこれ以上大きくなったらうちには入れなくて、頼めなくなります。(小さいサイズのロールベーラーを買うしかない?)
ヨーロッパの農業政策は、大規模優秀農業を推進するためのものであって、零細農がもらえる助成金が減りました。今年から、肉牛の助成金は、24ヵ月以上の経産牛を常に10頭以上飼っていないと、もらえなくなりました。もともと、純粋の乳牛(?!)と誤解されていたアルモリカン牛は対象外で、私たちは今まで助成金なしでやってきたので、どうってことはないのですが・・・。
フランスの農業も、つい最近まで、家族でやっていたものです。それが、農業の近代化で、大規模農家でないと生き残れない、と脅され、周囲の零細農家を買い取って農地をどんどん拡大して来た結果が、今のフランスの農業です。
ヨーロッパ農業政策推進のために農家に配る助成金の基本部分は、1ヘクタールに付きなんぼ、ですから、土地は広ければ広いほど金額も多いです。そのために、土地の取り合いのようなことも起りました。おかげで、新規就農希望者は、土地が見つからない、という事態もありました。
この夏のはじめごろから、乳牛、肉牛、豚などの畜産農家が、今の肉や牛乳の相場では生きて行けない、と大規模な抗議を始めました。組合がコーディネートする抗議アクションとか言って、あちこちで主要道路を占拠して、みんなに多大な迷惑をかけました。(この近くでもあって、びっくり!)
写真でその様子を見ると、倒産寸前の農家の人達が、みんな最新式の大型トラクターに乗っていて、笑えました。Jおじさんが、その最新式大型トラクターの値段を教えてくれましたが、びっくりするほど高額、としか覚えていません。
農家の人達はみんな、組合や農業機関や公認会計士の言うことをしっかり聞いて、模範的な農業経営をして来たのに、畜産製品の相場が安過ぎて利益が出ない。なんで自分たちはこんな目に遭わないといけないのか、と怒ってはります。
政府は、大臣を交渉に行かせたり、農家の人達をいっしょうけんめいなだめようとしましたが、実際に豚肉を買って加工する大手企業が、そんな高いもんは買わへん、とセリをボイコットしたり、もめ続けてます。
フランスの消費者が、いくら安いからってよその国で生産したものは買わないで、フランス産のものをすすんで買ってくれたら自分たちの儲けが増える、とゆうてはりますが・・・。
こんなこと大きな声では言えないのですが、ごく普通にスーパーとかで売っているフランス産の牛肉も豚肉もまずいです。だいたい、大量生産した食品で、おいしいものなんてあります?
零細農家は、はじめに書いたように、いろんな方面から『早くやめて土地を譲ってよ』といじめられ、肩身のせまい思いをさせられていますが、おいしいものを作るのは得意です。自分で作ったものは、自分で食べますから、おいしくないと絶対にイヤです。助成金がもらえないアルモリカン牛でも、うちにはこれが最高!と思うと、アホと言われようが飼い続け、もっと良くしよう、と工夫します。
零細農家もそれなりの役割があり、そこに《いる》だけでも大きな意味がある、と思いませんか。
世界中の《スモールファーマー》が団結したら、どんなアクションを起こすか?
きっと、みんなが幸せになることをすると思います。
一般に人工授精に使われているアルモリカン雄牛のタネを全て検査して、アルモリカン種にはDM(ダブルマッスル)は存在しない、と権威ある研究所が宣言したにもかかわらず、よりによってボラン農場に出現したDM牛、ガラちゃん。

幸い、ベルジアン・ブルーなんかと違い、わぁ〜、気持ち悪い、というのはありませんが、これでもれっきとしたDM牛です。両親ともDM遺伝子を持った(DM牛ではない)子が、DMになって生まれると、筋肉が異常に発達した牛になります。そうなる確率は50%とか。また、両親ともDM遺伝子を持っていても、その遺伝子さえ持っていない子が生まれることもあります。(すなわち、DMの子を産む確率ゼロ。)
ボラン農場では、草100%でできる(フランスの一般消費者がイヤがる)サシだらけのお肉が売り物でした。それが、だんだん赤身のお肉になり、その犯人がDM遺伝子だったのが後になって判明しました。
DM牛は、肉(筋肉)がたくさん取れ、その上柔らかいので、わざとそうなるように交配して作られたものです。ボラン農場ではそんなものができないように気をつけていますし、DM牝牛は、純粋アルモリカン牛のハードブックにも登録されません。
ところが、
DM遺伝子を持った子牛(DMの子を産む可能性あり)は、かなりの確率で生まれています。なんでも、うちのは、ベルジアン・ブルー系の強烈な遺伝子だそうで、子に遺伝する率は、50%どころか75%を超えてるのでは、と思う勢いです。
今までの経験から、DMまで行かなくても、遺伝子を持っているだけで、枝肉から製品が取れる率(歩留り)の高い、赤身ばかりのお肉になります。
こういうのは、日本短角牛の例のように淘汰してしまった方が良いのかも知れませんが・・・。
ジョンさんちにいる8頭の去勢くんたちを見ても、ボラン農場にいるお母さん牛たちを見ても、お肉にするならこれっ!と目が行くはDM遺伝子を持った牛ばかり。
両親は同じ(マルキーズ X すもう)でも、お父さんのDM遺伝子を受け継いだのと、受け継がなかったので、こんなに違います。
みなさんは、肉牛としてどちらを選びますか。

いちま 2才4ヵ月

げんき 3才8ヵ月
5月の牛ツアーの時に(もう削除してしまいましたが)ここにいろいろ書いてみて、意外と手軽にできるのね〜、なんて感じて、きっと、時々思い出したら、みたいなぺースになりそうだけど、ちょっと再開してみようか、と。
今日は、アルモリカン牛の中では世界一の美人、マルキーズの話です。

先日、フリゼットの三回目の人工授精があって(これで付かなかったらお肉!と言ったら、Jおじさんに叱られた)、ちょうど、牛たちを南側の牧草地に移そうか、と言っていたところなので、北の端にいた全員を牛舎裏まで連れて来ました。(牛舎はちょうど真ん中。)
授精師さんがわりと早めに来てくれて、これから牛たちが行く先の準備が整ったので、みんなを連れに行ったら・・・、
マルキーズが出口の所でお待ちかねでした。
他の牛たちは、ひたすら草を食べてたのに・・・。いつものことながら、この子だけはようわかってるんです。私たちが何をしようとしているか。
おかげで、柵を開けさえすれば、マルキーズが次の牧区を目指して歩き出し、みんなが付いて行く、と私としたらラクなパターンでした。
私はみんなのはるかうしろにいたのでわからなかったけれど、行き先の牧区の入り口で待機していたJおじさんによると、
マルキーズもみんなといっしょに走ってた、そうです。
マルキーズはもう19才。短命と言われているアルモリカンにしたら、記録的な長寿です。本当に、トシのわりには元気で、ありがたいことです。

歩けなくなると、自分で『もうおしまいだ』と思ってしまうので、爪の手入れは毎年やってます。歩くスピードはゆっくりだけど、しっかりしっかり歩いて、もっと長生きして欲しいです。
上の写真、耳標が見えません。はい、知らないうちに取れてました。(その後、半分だけ見つかった。)新しい耳標を作ってもらったので、ご心配なく。いつか、牛舎に来る時に付けますので、管轄当局には内緒にしておいてください。
マルキーズの耳標ですが、まだ、係の人が付けに来てくれていた時代のものなので、番号の付け方が他の牛とは違います。右と左では番号が違うので、新しいのを注文した時に、どちらが必要か聞かれました。耳標を作っている会社でも、こんな番号を扱ったのは久しぶりだと思います。(その時代の牛はもうとっくに天国に行ってるから。)
ボラン農場で生まれた子牛の数が、この春で100を超えました。マルキーズは、本当はよそで生まれたけど、ボラン農場の2番が付いています。マルキーズは、ボラン農場の歴史そのものです。私は、マルキーズにそっくりな牛がたくさん生まれること願って来ましたが、今のところゼロです。(もしかしたら、一頭?)
ある日、マルキーズがいなくなったら、だれがみんなの先頭に立ってくれるのか。それがちょっと心配です。
PS : コメントをいただいたのに、気が付かなくて、ご返信できていないことがありました。大変失礼いたしました。
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