昨日,12月31日の夜9時頃,ユゴリンはいつものようにみんなと牧草地に帰りました。お産が始まるとしても 多分朝方だし、牛たちは私たちのいる小屋のすぐ横なので,何かあったらユーチカの時のように目が覚めるだろうと思ったのです。この日はふつう友達同士で集まリ、ごちそうを食べながら新年になるのを待って,1月1日0時になったら大騒ぎする日です。私たちはそういうのあまり好きではないので,特に何も計画していませんでした。Jが牛舎を掃除して,ユーチカとベラの敷きわらを替えて,痛みかけていた栗カボチャの処理をし終わったら(私は小屋の掃除)もう11時をまわっていました。二人とも腹ぺこで あるもの全部ひっぱり出してカナッペを作り,その前日 Jが激安スーパーで買って来た2ダース入りの生ガキの残り1ダースを ミスマッチなど気にせずアルザスのワイン(これも前日の残り)を飲みながら優雅に食べておりました。さて,前菜を食べてしまい、メインのスープを温めて,さあ食べようとした時,牛舎から物音がしました。多分,ベラが走り回って堆肥運搬用の一輪車にでもぶつかったんだろうと,私が念のため見に行きました。行って見ると,べつに異常はなく,ユーチカが水を飲みたそうな顔をしたので,バケツで飲ませてやりました。すると,牛たちのいる牧草地の方から,牛の叫び声が聞こえ,ユーチカは耳を立てて,不安そうな表情をしたのです。昼間,みよが発情して大声を上げていましたが、そういう時、他の牛は全く無関心です。どうも,みよの声ではなさそうです。それで、牛たちを見に行こうと思い,Jにそう言うために小屋に戻ったら,Jは大急ぎで作業服を着ているところでした。Jもやはり声を聞いて,見に行こうとしていたのです。時計を見ると,12時10分前でした。私はJを待っているのももどかしく,一人で先に行きました。さっきの声からすると小屋から一番遠い道路側です。牧草地に入り、牛たちを探しました。すぐには見えないので,やっぱり道路側です。そうしているうちにまた叫び声が聞こえ,それを頼りに進んで行くと、白い斑の入った牛が見えました。さっきの声はユゴリンだった と思う間もなく,大声とともに ユゴリンの後ろから大きな塊が飛び出して来ました。最後の一押しの格好をしていたユゴリンが 飛ぶようにくるりと向きを変え,塊をなめ始めました。ちょうどそこに Jが来て,私は《産めた~。落ちた~。》と叫びました。すると,他の牛たちは関係ないのに鼻を突っ込みに来る、ユゴリンは やさしい“ムー”ではなく“モー,モー”と声を上げる、子牛は子牛で 生まれたばかりなんだからおとなしくしてればいいのに,もがき回る、とえらい騒ぎになりました。子牛はべつに苦しんでいるわけではありません。どうも,早くおっぱいが飲みたくて,あせっているようです。そのうち,どこか近所の家から 歓声と“ポン,ポン”という爆発音が聞こえました。《あぁ,新年か。》とは思ったものの,子牛はもがく,母牛はパニック状態で おめでたいと思っているひまもありませんでした。そうしているうちに,今度は教会や村役場がある村の中心の方向から花火が上がりました。けっこう高くまで上がり、いろいろ違った色や形がきれいでした。そのうち,子牛はしっかり立ち,母親のおっぱいまで歩いて行けるようになり,事態は収拾の方向に。もう少し待って,子牛がちゃんとおっぱいを吸うのを確認して,私たちは小屋に戻りました。Jは牛舎に入れようか と言ったのですが,夜暗い時に牛を移動させようとすると ロクなことはありません。寒くないし、雨もそんなに降っていないので,朝まで外にいてもらうことにしました。
後で考えてみると,産まれたとたん 待ち構えていたみんなにお祝いをしてもらった子牛です。これはまた縁起の良いことだ と誕生日を数分ごまかして2007年1月1日にしました。心配していたユゴリンも自力で普通に出産し,こんなにおめでたいことはありません。

ユゴリンはどうしようもない母親です。食堂のドアが開いたら,寝ていた自分の息子を放り出して,みんなといっしょに食べに来てしまいました。しょうがないので,Jと子牛を呼びに行きました。Jが先頭に立つと,ちゃんと後を付いて行ってくれました。ただ,時々 他のことに気を取られてよそに行ったりするので,軌道修正が必要です。見てください。大きな赤ちゃんでしょう。あのチビのユゴリンがこんな立派な子牛を産むのですから,ばかにできません。